えがくということ


少し前の記事だけど、アニメーターの湖川友謙さんのインタビュー。
http://www.style.fm/as/01_talk/kogawa01.shtml


この中で、
「デッサンをするということは、観ること。
観ながら描く、という必要すらなく、観ること。
描く技術なんてものは、いらない」
という様なことが書いてあった。
まったく同感だ。


とにかく、ちゃんと観ることができなければ、どんなに素晴らしい技術や理論を持っていても、全然ダメだと、ボクも常々思っている。
観ることに興味が無い人の絵は、すぐにわかる。
観て発見する。そしてさらにそこに疑問を感じ、また発見する。
結果、細かい部分で独自の理論は積み上がっていくけど、トータルで「絵なんてこんな物」という様な答えは、無い。
だから生涯を賭けられるし、いつまでも楽しいのだ。



ただ、あえて付け加えさせて頂くなら、
99%は「観ること」。
残りの1%は「道具」。
・・・だとボクは思う。


道具は、自分の引き出しの中身を外側に出すために、とても重要なものと考えている。
何でもいいというワケではない。
少なくともボクにとっては。
そして、それを使いこなす・・・というより、体の一部になるまで「使い込む」というのは、道具を「選ぶ」以上に大切なことだ。
これは、技術とは違う分野だと思ってる。もっと感覚的なことだ。


つまり、ある道具がある人にとってすごく使い勝手が良くても、ボクに使い勝手がいいということにはならない。
よく、いい道具があるとそれをやたらと人に薦めたがる人がいるが、そういう人の言葉を、悪いけどボクはあんまり信じない。
そういう人に限って、大して使い込んでもいない道具で、一喜一憂してたりするから。
逆に、すごく素敵な仕事をする人が、どんな道具を使ってるか興味はある。
もちろん、その道具が、ボクにとって相性がいいかどうかは、別問題として。


そんなこんなで、作家さんとの会話では、つい道具の話を聞いてしまう。
目は、もちろんその人が見えてる物を活写してるワケだから、言葉より絵を見ていろいろ考えればいい。
けれどもそれにしたって、本当にその作家が何を観てるかなんて、解らない。解るはずもない。
上記の湖川氏の話にもあるように、観るというのは、結局脳で感じてるのだから。
つまり、99%の部分の秘密は、会話などで得られない。
むしろ聞けば聞くほど、ワケが判らなくなることの方が多い。


で、ボクはつい残りの1%の話を聞く。
この1%はきわめて客観的なので、とても面白いし、参考になるし、なによりその作家の1%だけ解った様な気になれる。
ついでにその人がその道具を使ってる時に、どんな気分なのかを聞いたりする。
こっちは「観る」のと同様、とても主観的な話なのでよく分からないことが多いけど、でも、
「えー!その道具をそんな気分で使う人もいるんだー!」と、ボクにとってはもの凄い新鮮な衝撃を受けることが、よくある。
興味の無い人には、本当にどうでもいい、むしろくだらないこだわりであろうことも、重々承知しているけど。



・・・ちょっとムキになり気味に、持論を公開してしまった。(^^;)
とはいえ、しかし、やっぱり、絵を描く上で大事なのは、なんといっても「観る」ことだ。