きもちよさについて

昨日の日記で「仕上がりの気持ちいいページ」について言及した。
こういう言い方をすると、間違って解釈されがちだ。


あくまでこれは
「仕上がった時に気持ちいい絵になっているかどうか」であって
「描いていて楽しい絵」ではない。
つまり「過程」の話では無く、「結果」の話だ。

ライドバック2巻78ページ。
例えばこれなんかも、仕上がりの気持ちいい絵だ。
しかし、描いている時は、自分でもかなりわけがわかんない感じだった。
特に二コマ目なんか、意味不明だ。

これも、そう。(ライドバック9巻77ページ)
そもそも、こういう絵をどうやって思いついたのかさえ、よくわからない。
どっちも、たまたま爆発シーンだけど、爆風の勢いや爆発の凄惨さは完全に無視している。しかし、軽い感じもしない。


つまり、「大うそ」の場面なのだ。


こういう「大うそ」を堂々と描く場合は、描いてる時に「今、ペンを動かす行為が楽しいかどうか」なんて考えていてはダメ。気持ちをカラッポにして、無心で、感性にまかせながら、時には下描きの線すら無視して描く必要がある。バランス。安定ではなく崩れるかどうかギリギリの。


上の2枚の絵は、まさにそんな感じの絵。仕上がって我にかえった時に「うほっ」となる。
それが「仕上がりの気持ち良さ」だ。


「過程」か「結果」か。
どっちでもいい人には、どうでも良い話だろう。
でも、ボクにはとても大事な話なので、連続して最近滞りがちな「ときどき日記」を更新してみた。